ふとカレンダーを見やると、今年ももうあとわずかですね。 奈良の冬は底冷えするとよく言われますが、透き通った冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む朝は、何物にも代えがたい贅沢だと感じます。
関東からこの静かな古都、奈良に越してきてもう5年が経ちました。 以前は川崎や横浜といった、いわゆる「首都圏の喧騒」の中で暮らしていました。毎朝、痛いほどに押しつぶされる満員電車に揺られ、ダイヤの乱れに一喜一憂し、無機質なビルの森を歩く日々。 正直に言えば、あの頃の生活にはもう戻りたくありません。
今の暮らしは、まさにQOL(生活の質)の向上そのものです。 窓を開ければ季節の移ろいを感じられますし、通勤のストレスも激減しました。時間の流れが穏やかで、人間らしい生活を取り戻せたような気がしています。
ただ……。 この素晴らしい奈良生活の中で、たった一つだけ。どうしても馴染めない、いや、正直に言えば「理解に苦しむ」ことがあるんです。
それは、「タバコのマナー」についてです。

都会の「分煙」システムは偉大でした
関東に住んでいた頃を思い出してみます。 横浜駅や川崎駅周辺、あるいは繁華街。人が溢れかえるあの場所で、タバコの煙に悩まされることは意外と少なかったように思います。
もちろん、ゼロではありません。でも、そこには明確な「ルール」と「設備」がありました。 駅前には必ずと言っていいほど、ガラス張りの喫煙所や、パーテーションで区切られた公共の喫煙スペースが設置されていましたよね。愛煙家の方々は、まるで何かの儀式のようにそのスペースに集まり、その区画の中で紫煙をくゆらせていました。
「吸う人はあの中で」「吸わない人はその外で」
この住み分けが、物理的にも意識的にも徹底されていたのだと思います。 当時はその光景を「窮屈そうだな」なんて他人事のように見ていましたが、今にして思えば、あれは吸わない人間を守るための、そして吸う人間が後ろ指をさされないための、非常に高度で洗練されたシステムだったんですね。
「場所がない」から「どこでも吸う」という理屈
私が今住んでいる奈良のエリアの話です。 ここはとてものどかで良い場所なのですが、駅前や街中に「公共の喫煙スペース」というものがほとんど存在しません。
その結果、何が起きているか。 「歩きタバコ」が、驚くほど多いんです。
朝の清々しい空気の中、駅に向かって歩いていると、前を歩く男性の手元から白い煙がたなびいてきます。風に乗って流れてくるその臭いは、非喫煙者にとっては暴力的なまでの不快感です。すれ違いざまに自転車に乗りながらタバコをふかしているお爺さんもよく見かけます。
「吸う場所がないんだから、仕方ないだろう」
そんな声が聞こえてきそうですが、私にはそれが「路上で吸っていい理由」にはどうしても結びつきません。 関東では「吸う場所がないなら、吸える場所(カフェや自宅)まで我慢する」というのが暗黙の、あるいは明確なマナーだったはずです。こ
看板はただの「模様」なのでしょうか?
先日、さらに衝撃的な光景を目にしました。 近所の商店街の入り口あたりに、結構大きめの看板があるんです。そこにははっきりと「ここではタバコを吸わないでください」「路上喫煙禁止」といった文言が書かれています。
しかし、その看板の足元で、堂々とタバコに火をつけている人がいたんです。 隠れる様子もなく、悪びれる様子もなく。まるでその看板が、ただの壁の模様か何かであるかのように、完全に無視していました。
私はその横を通り過ぎながら、息を止めつつ、頭の中で「?」マークが乱舞するのを感じました。 字が読めないわけではないでしょう。意味がわからないわけでもないでしょう。 単純に、「自分は関係ない」と思っているのか、あるいは「昔からここで吸っていたから」という慣習がルールを上回っているのでしょうか。
田舎特有の「ゆるさ」は好きです。ご近所付き合いの温かさや、細かいことを気にしない大らかさは、この土地の魅力でもあります。 でも、その「ゆるさ」が、公衆衛生や他者への配慮という面で悪い方向に働いてしまっているのが、このタバコ問題なのだと思います。
都会のマナーの凄さを再認識しています
奈良での生活は本当に気に入っています。 鹿が歩く公園も、歴史を感じる寺社仏閣も、安くて美味しい野菜も大好きです。 だからこそ、この煙の問題だけが、喉に刺さった小骨のようにチクリと心を刺激するんです。
「郷に入っては郷に従え」と言いますが、こればかりは従えませんし、慣れることもないでしょう。 タバコを吸わない私からすると、副流煙はただ不快なだけでなく、健康への懸念もあります。
こうして離れてみて初めて、関東の、特に都市部のタバコマナーのレベルの高さ(あるいは強制力の強さ)を痛感しています。 「人が多いからこそ、ルールを守らないと回らない」という都会の厳しさは、裏を返せば「他人への無関心を装いつつ、最低限の配慮をする」という優しさだったのかもしれません。
奈良の美しい景色と空気が、タバコの煙で曇ることがありませんように。 そんなことを願いながら、今日も私は息を止めて、歩きタバコのおじさんを追い越していくのです。